フィルムマフィアの本日のおすすめ

この不寛容な嵐の世の中を、マンボタンゴ号に乗って渡り出す。考察のできないフィルムマフィアの気ままな映画生活。

ヤるかヤられるか・・・刺激たっぷりの擬人化風刺アニメ『ソーセージ・パーティー』!!

タイトルを人気ブログふうにすると、自分が映画ブログを書いていると実感できますね。なんだかやる気が漲ってきてこう、奮い立ってきちゃって…起って…勃っ…

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そんな訳で今回おすすめする映画は、現在限定公開中のソニー・コロンビア配給の『ソーセージ・パーティー(2016)』です。ちなみに本文にタイトルほどの勢いはありませんので悪しからず。そしてネタバレ全開です。ご注意を。

 

監督はグレッグ・ティアナン、コンラッド・ヴァーノン。調べるとティアナン監督はきかんしゃトーマスの作品を数多く手がけてきていて、ヴァーノン監督はドリームワークスのCGアニメ映画に多く携わってきたようです。

 

1900万ドルの低予算アニメということで映像面に関しては期待していなかったのですが、パンのもちもち感や液体やビニールの質感などが本物のようで良い不意打ちを受けました。ディズニーやピクサーのCGアニメが1億ドル以上の予算を費やしているのは映像表現の技術革新への投資を感じますが、本作がここまで低予算で抑えられた要因のひとつに、両監督のCGアニメに対するノウハウがあるのかもしれません。

 

あらすじ:スーパーに並ぶ食品たちが「神様(人間のこと)に選ばれれば白い光(スーパーの自動扉のこと)の先の天国へ行けるんだ!」と信じて買い物かごに入れられることを待ちわびているなか、あるハニーマスタードの瓶が返品扱いで棚に戻されます。彼はひどくおびえ「あそこは天国じゃない!」と言いだしたことをきっかけに、主人公のフランク(ソーセージ)たちは「人間に選ばれたら殺されて食べられる」ことを知り、自分たちの残酷で過酷な運命に立ち向かっていくことになる…

 

こんな感じの作品です。要するにハクスリーの「すばらしい新世界」よろしく、食べ物たちのディストピア映画です。「選ばれれば天国へ行けます」と刷り込まれ、選ばれることを心待ちする無垢なものたちに待ち受けるのは死のみ、という展開はユアン・マクレガー主演のクローンものSFアクション『アイランド(2005)』なんかを思い出します。真実を知った食べ物たちが真実を知りどう立ち向かっていくか、そんなサバイバル要素も『ソーセージ・パーティー』の見どころのひとつでしょう。

 

一方でこの映画の宣伝や口コミなんかはこぞって「下品!」「予想以上に下品!」「この下ネタのひどさはそりゃR-15になるわ!」と、下ネタの情報しか入ってきません。下ネタを強調したほうが受けるし興味が沸くのは分かります。そもそもコメディ映画なのだから私のように「このディストピアの世界観がいいですね」なんて勧めるのも筋違いです。加えて脚本と主演がセス・ローゲンです。声の出演の男性陣の大半はローゲン作品の常連です。そりゃもう下ネタは避けては通れません。しかし今回の作品は今までのローゲン関連作と同様に、やりすぎの下ネタの先に成長物語があるのです。ふざけながらも強いメッセージを描きだす、そんな荒業をこなしているからこそ私は彼が好きですし、本作をおすすめします。

 

たとえばスーパーにいる一般的な食品なんかは人間に対して異常なまでに畏敬の念を抱いています。中にはアルコール飲料のようにクラブ生活三昧の不埒な輩もいますが、多くは「人間は神」「神は絶対」「神は我々を天国へ連れて行ってくださる」と信じて疑いません。なんだか典型的なアメリカ人って感じですね。それに対して主人公のフランクは始めこそそんな感じでしたが次第に「その根拠は?」と、自らの信仰に疑いも持ち始めます。盲目なまでの信仰心に疑念を抱くのは少し無神論者な立ち位置です。ただ、観ていくと彼は無神論者ではなく、ハリウッド的リベラルな人物だということに気付かされます。友だちの短小ソーセージくんがいじめられていると「お前は太い。長ければいいってもんじゃない」と慰めますし、ラバーシュ(中近東のパン)とベーグルが喧嘩していれば「どうして非難ばかりしているんだ、素直に認め合えばいいじゃないか」と諌めます。中東と欧州の移民問題をパンで皮肉った見事なシーンでした(非難ばかりせずに認め合おうというメッセージは、今白熱中のアメリカ大統領選挙戦にも言えることですね。非生産的な泥沼試合はよしなさい、ということです)。また、恋人のパン・ブレンダと意見が対立した時には「女なら男についてこいよ」と主張したためにブレンダが「私は男のお飾りなわけ?」と怒ります。その後ちゃんと彼はこの発言を反省します。ラストの食材の乱交シーンではゲイもレズビアンもストレートも関係なくくんずほぐれつ。「みんな違ってみんな良い」と地でいく、保守的なハリウッドではなくリベラルな側面のハリウッドを色濃く反映した作品だと感じました。

 

このリベラルさは近年のディズニー作品にも通じるものがありますが、私個人としてはディズニーのリベラル性が好きではありません。『アナと雪の女王(2013)』や『ズートピア(2016)』ではディズニー自らが築いてきた固定観念を覆すような、多様性への寛容を強くアピールしています。性や人種への偏見なんか跳ね飛ばそう!といった素晴らしいテーマを扱っています。しかしこの「世相をいち早く作品に反映しなくては」という姿勢は、巨大企業の使命感というよりは、私には評判を良くするための計算高さにしか見えないのですね。優等生の良い子ぶりっ子です。映画界のテイラー・スウィフトとでも言いましょうか。そういった「褒めて褒めて」の駄々はスター・ウォーズやマーベル映画にも見え隠れしていて、なんだかなぁという気がしてなりません。脱線している上にディズニーに愚痴ってしかいないのでついでにもう一つ。『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ(2016)』が絶賛の嵐ですが、そういう人たちは2時間半の尺の作品の中で何一つ問題を解決させず次回作に持ち越ししていることに疑問はないのでしょうか。これではまるで巨額の予算を掛けて劇場公開用作品にしたTVシリーズのようです。起承転結を一つの映画の中で完結させず、複数に跨がせる。いくらアクションや人物描写が巧みだとはいえ、根本的な組み立てが映画たるべきものとして成立していません。だったら映画館で「ゲーム・オブ・スローンズ」を編集して上映したって変わりません。まぁこういったものは趣味の問題なので、ここまでにしておきます。

 

オチは『モンティ・パイソン・アンド・ザ・ホーリー・グレイル(1975)』『ホーリー・マウンテン(1973)』に勝るとも劣らないメタなオチになっています。この2作を鑑賞済みの方であれば察しがつくとは思いますが。微妙にあやふやな設定も、メタフィクションの部分があるから投げ出しているのかな、とも受け取れます。

 

ギャグでふざけ倒していながらもしれっと強烈な風刺をする作品というのは、製作者の頭の良さを感じられて大好きです。そういう意味で私はリッキー・ジャーヴェイスサシャ・バロン・コーエンが好きなのですが、下ネタに隠された風刺ネタを存分に楽しみたい方は、ぜひ『ソーセージ・パーティー』をご覧になってみては。